また卒業式の日を迎えた。
幸運な事に3年間担任として面倒を見た学年の生徒たちが今日、母校を巣立っていった。
教員になってから2回目の卒業生。色々大変だったけど終わったなぁ……という感じ。
担任なんて出来ればやりたくない、と毎年思う。
一説には担任をするとしない教員よりも仕事が3倍増えるとこの業界では囁かれている。給料が同じならやらないに越したことはない。
私は理科を教えるために教員になったのである。仕事量が3分の1になれば、その分教材研究に打ち込める。そう思わないかね?ワトソン君。
1学年を担当してから3年間、ひたすら苦難の日々。
だが不思議なものだ。
この1日で全てが報われる。この1日だけのために、明日から頑張ろうと思える。
卒業式とは生徒にとってももちろんだが、教員にとって格別であり不思議な1日だ。
卒業までのカウントダウン
どこのクラスでもたいていやっているようだが、ご他聞に漏れずウチのクラスでも「卒業までのカウントダウン」を始めた。
40人クラスなので1人2枚を基準に登校日ベースで80日前から。
80日前というと冬休みよりも前、11月の後半になる。卒業なんて雰囲気はまるでない。もちろん自分も。
怪談100話ではないが、80日揃ったその瞬間……ギャーッ
卒業までの日数を大きく書き、その下にみんなへのコメントを書かせたが、これがまたうまくいかなかった。
こちらとしては密かに「みんなありがとう」とか「同窓会で会おう」とかクラスメイトへの感謝の言葉が教室じゅうに貼られることを期待して
いたのだが、卒業式ははるか先。そんな雰囲気じゃないというか、どいつもこいつも「一日一日を大切に」とか80日前に見本で書いた担任のコメントを
丸パクリする連中が続出。テキトーというか淡白なウチのクラスらしいと言えばそれまでだが……。
しかも提出は実際にその日が近くならないと実感が湧かず書けないだろうという担任のありがたい配慮から”貼り出す前日”としたのだが、
これがまた裏目に出てしまい、忘れる連中が続出。朝に私が「○○ー。今日カウントダウンの担当だぞ」と毎日声を掛けなければならず私の負担が余計に増えた。
教室に80枚貼りまくるのだから1日でも欠けると格好がつかない。
卒業式前の雰囲気作りが ぶち壊しになると、自分が焦る一方で生徒はポカーンという微妙な感じになってしまった。
次からはみんなへのコメントは廃止だ、廃止!
まぁそれでも何枚か欠けたりしながら、なんとか80日間続き、いよいよ実感が湧いてきたのが残り5日。自分に至っては最後2日という有様。
卒業までの苦難の道のり
今年の卒業式は「手紙~拝啓 十五の君へ~」を歌うことに決まった。アンジェラ・アキのアレだ。
個人的には最近の定番曲「仰げば尊し」……ではなく「旅立ちの日に」を歌いたかったのだが、よくわからないまま決定していた。
この「手紙」が有名になった頃、ウチの母親がどこから聞きつけたのかCDを買ってきて「この曲最高だわ~」と何度も言って、
こともあろうに1日中 家で曲をリピート再生していたものだから、その反骨精神から あまり良く思っていなかった微妙な曲。
しかし曲が誕生して7年目にして初めて、その歌詞の意味をかみ締めてみて、まぁ良い曲ではないかと思うようになった。
その「手紙」というテーマに向かって、卒業式の前には子どもから保護者へ手紙を書いたりと取り組みをして気持ちを高めてきた。
で、担任からの卒業記念という問題が降りかかる。
別に何もしなくて「卒業おめでとう!さよなら~」でも良いと思うのだが、悲しい哉。隣のクラスが何かをやっていると、自分も何かを
しなければならないのかという無言の圧力に抗しきれない。
まぁ、どうでもいいクソ生徒たちだったら別に何もしないのだが、色々問題はあったものの頑張ってきた生徒たち。
何かしてあげたいという気持ちになった。
しかし何をしようか直前まで迷った。
前任校では、喉自慢の先生は最後に1曲とっておきの歌を歌った。今の学校ではクラスの生徒1人1人にメッセージカードをつくり、
その子にあった曲名や名言を贈った先生もいた。また1年間の思い出を動画にして見せた先生もいた。
困った挙句、学級通信という形で生徒全員に手紙を書くことにした。そして全員分の手紙を冊子にして卒業式の前日に全員に配る。
前任校でお世話になった先輩から、一度はやってみるといいよと言われことがずっと頭に残っていた。
クラスの生徒は40人。ざっくばらんにこれまでの思い出や将来に生かして欲しいことを書いてみる。
ところがガシガシ大量に書ける生徒とあっさりとしか書けない生徒がいる。なかなか踏ん切りがつかない。
とりあえずやってみようと思い立ったのは3月2日。
卒業式まで16日。1日3人ペースで書けば、余裕を持って終われる計画だった。
けれども毎日書けるわけもなく……全く書けない日が1日でもあれば、次の日にノルマとしてのしかかってくる。
卒業式まで最後の1週間は睡眠時間を削って書かなければならないほど追い込まれた。筆が進まない苦しみ。
なんでこんなに苦しまなければいけないのかと何度も思った。
そしてリミットの日。放課後を使って最後の2人に手紙を書き、印刷・製本すれば終わるところまで漕ぎつけた。
時間的にはたっぷりある。早く帰って久々にたっぷり寝られるぐらいの余裕はあった。
エベレスト登頂で言えば山頂まで最後の10m。
ところが最後の最後になって雪崩が起きた。
卒業アルバム事件
その兆候は卒業式の3日前に掴んでいた。
卒業アルバムを配布したのだが、何人かの生徒から「他校の生徒が写っている」という噂があった。
卒業アルバムは写真屋が作ったものを教員がチェックしてOKを出すのだが、こちらの確認ミスなのか写真屋のミスなのかバタバタの中で 不明だったが、どういうわけか1枚他校の生徒がアルバムに写っていたのだった。
こっちとしては「ドンマイ」とぐらいにしか思っていなかったが、雑談の中で校長の耳に入ることになった。
それが卒業式の2日前。これが大変だった。
肖像権の問題になり写真屋に連絡してすぐに修正シールを準備して全部のアルバムに貼れという話になった。
そしてアルバムは生徒の手に渡っている。しかも時はすでに夜。写真屋もすぐには準備できないという話になり大混乱。
こっちは2人の手紙を仕上げ、学級通信を印刷・製本するというギリギリのところを、卒業アルバムの対応が入りてんやわんや。
写っている他校の生徒は誰だ!?クラスのある生徒が知っているらしい。家に電話してみれば塾に行っており21時にならないと帰ってこない。
写真屋は修正シールはすぐには無理と言っている。それは困る、何とかしろ。できないものはできない。
ではとりあえず白シールを買ってきて上から隠したらどうだ。修正シールは後でも構わない。今から買いに行くしかない。
そんなやりとりがあり、とりあえず方向性が見えてきたのは20時30分。
ここから学級通信の印刷・製本をしなければ明日の学活には間に合わない。印刷は最低1時間はかかる。最終バスの時間が迫る。
製本は明日の朝にするしかない。印刷だけでもいっぱいいっぱい。結局早く帰るどころか帰宅できたのは23時30分。
明日の朝 4時30分に起きて製本しなければならなくなった。
後編につづく。
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